とあるクラブ&バーのカウンター席に、燃えるような赤毛の短髪に奇妙な剃り込みを入れた、いかにもギャング風の男が座っていた。カクテルグラスを片手ににやにや笑いを貼り付けて、カウンターの中を見ている。男の視線の先には、苦虫を百匹ほど噛み潰したような顔をした、プラチナブロンドの巻き毛のバーテンダーが一人、グラスを磨いている。 バーテンダーは赤毛の男と視線を合わさないように努めていたが、いい加減男のにやにや笑いに嫌気が差したのか、分厚いフレームの眼鏡の奥からぎろりと男を睨みつけた。 「おーおー怖ぇ顔しちゃってまぁ。客商売は笑顔が命なんだぜぇ?バーテンのお兄ちゃんよぉ。」 「うるせぇっ!テメー冷やかしに来たんなら今すぐ帰りやがれ!」 今にも赤毛の男に噛み付かんばかりの形相で、眼鏡のバーテンが吼える。その声に店内の幾人かがふり返ったが、またすぐに自分達の輪の中で話し始めた。 「おいおい、もっと慎重に行動してくれねーと困るぜギアッチョ。ったくしょ〜がねぇなあ〜〜っ。」 「んだと!元はと言えばテメーがだなぁ…!」 「あ〜わかったから。バーテンはバーテンらしくカクテルでも作ってな。ネグローリ、いっちょ頼むぜ。」 「…クソッ!」 ギアッチョと呼ばれたバーテンダーは、憎憎しげに一度舌打ちをすると、シェイカーを取り出して氷で冷やし、酒類の調合をし始めた。チンザノロッソ、ジン、カンパリ…。キツクふたをして、酒をシェイカーの側面に打ち付けるように、軽く五、六回シェイクする。流れるようなその手際を見て、赤毛の男…ホルマジオは内心舌を巻いた。 「へぇ。思ったよりサマになってんじゃねぇか。お前実は器用なのな。」 「…それは褒めてんのか?けなしてんのか?」 「いや、バーテンなんて、お前じゃなくても無理だと思ってたからよ〜、大変そうだし。お前案外一般社会でもちゃあんと生きてけるんじゃあねーか?」 「フン。馬鹿言うな。こっちから願い下げだぜ。」 そう返したものの、しかしまんざらでもなさそうな表情で、ギアッチョはシェイカーの中身をショート・グラスに空ける。仕上げにオレンジを飾って、ホルマジオの方にグラスをよこした。 「しかしチンザノにカンパリね…いかにもイタリア人らしい好みだな。」 「ほっとけ。」 からかうようなギアッチョの言葉に悪態をつきながら、グラスをあおる。口当たりのいいまろやかな酒の風味と、オレンジの香りが舌の上でとろけるようだった。 こりゃ、マジにバーテンで生きてけるんじゃねーか、と思って、ギアッチョの方を振り向いたが、彼は既に他の客の注文を受けていたので、結局ホルマジオの褒め言葉は彼の知らぬところとなった。 今ギアッチョが注文を受けているのは、ホルマジオから三、四席ほど空けた左隣に座っている若い女の二人連れで、お勧めのカクテルがどーたらこーたらとギアッチョに質問を浴びせていた。どうやらその二人組みは、若くて甘いカクテルを作る眼鏡のバーテンを、いたく気に入ったようだった。ギアッチョの方には、全くその気は無いようだったが。 はぁん。ホルマジオは頬杖をついて考えた。 そーいやあいつはまだ若いし(自分も負けてはいないが)、黙っていりゃあ顔も悪かねぇ。大学にも通ってるし、育ちがいいのはその所作を見りゃわかる。…まぁ、全部ぱっと見の印象に過ぎないが。 (実際深く付き合うようになってみると、彼ほど短気で厄介で自己中心的で、思考回路の破綻している人間は、メローネ以外にまずいない、というのがホルマジオの意見だ。) 女性客に甘めのコバ・ミルクを作り終えて、こちらに戻ってきたギアッチョに、ホルマジオはねぎらいの言葉と共に訊ねてみた。 「お前ぇよお〜、女性客にずいぶん人気みてえだがよー。何か浮いた噂の一つくらいねぇのか?かわいそうに冷たくあしらわれて、あのねーちゃんたちこっち見てるぜ。」 「…別に冷たくあしらった覚えはねー。それに噂っつーのは、大概が本人の耳には入ってこねーもんなんだよ。俺に聞くのは筋違いだろ。」 「おいおい、話の核心を逸らすんじゃあねーぜ?」 「うるせぇ。テメーさっきからくだらねー話ばっかしやがって、何のためにココに来たのか忘れたわけじゃあねーだろうなぁ?」 「分かってるって。下見だろ、下見。」 ギアッチョの反応が面白くて、ついうっかり忘れるところだったのだが、ホルマジオはこのクラブ&バーに、殺しの下見に来ているのだ。バーテンとして潜り込んだギアッチョが潜入操作、手引きをして、ホルマジオがリトルフィートで小さくなってターゲットに近づくという寸法だ。 しかし下見と言っても、ホルマジオも殺しの仕事は十分すぎるほど場数を踏んできた男だ。店の間取りなど、ものの15分もしないうちに頭に叩き込んでしまった。それでもこの場にとどまっているのは、普段は絶対に見られないような大人しい様子でバーテンダーなんかやってる、目の前の同僚をからかってやるためだ。 内心かなり面白がりながら、ホルマジオはグラスを傾け、適当に会話を続けようと口を開いた。 「そういやあよー、最近俺たちのたまり場みたくなってるカフェでよ、働き始めた女の子がいるだろ。ジャッポーネから来た…なんつったっけ?…ちゃん?お前あの子と割と仲いいじゃねーか。どうなんだよ実際のとこ。」 適当に投げたはずの球が、見事にストライクしてしまったらしかった。 ギアッチョは一瞬(正に凍ったように)固まった後、ゆらりと冷気を漂わせながらホルマジオを振り向いた。 やばい。 背中に、冷気のせいではない悪寒が走ったのをホルマジオは感じた。 「え、お前、まさか図星…。」 「お客様。」 ホルマジオの言葉を遮って、ギアッチョはカウンター越しにホルマジオの手首を掴む。ホルマジオはごくり、と喉を鳴らした。怖い。何かバーテンの恰好ですごまれると余計に怖い。敬語なのが更に怖い。 「冷たいのがお好みですか…?」 「…げっ!!」 掴まれた箇所から焼け付くほどに冷たい冷気がほとばしり、徐々にホルマジオの体温と感覚を奪ってゆく。 全身氷付けにされてはかなわないと、ホルマジオが慌ててギアッチョの手を振りほどくと、凍りかけていた箇所はあっさり元通りになった。思わず安堵の息をつく。 「ったく、ちょっとからかっただけだっつーのに、すぐ本気にしやがって、ほんっとにしょお〜がねぇなあ〜〜!」 「うるせぇ。お前もう帰れ。二度と俺の目の前に現れるな!」 「ムチャ言うなよ。どーせ仕事で一緒ンなんだろー?」 「ンなんカンケーねー!いいか、今度くだらねーことほざきやがったら、頭からウォッカぶっかけて、火ィ点けて火だるまにしてやっからそう思えよ!」 「おーおー怖ぇ怖ぇ!」 怒り心頭のギアッチョを笑顔であしらいながら、そろそろ本当に帰ろうか、とホルマジオは腰を上げた。このくらいにしておかないと、この若いのは、何をやらかすか分かったもんじゃない。 勘定の他に今夜のチップをはずんでやると、ギアッチョはかなり複雑そうな顔をしたが、渋々受け取った。ホルマジオが同僚で、年上だから、チップを受け取るのに抵抗があったのだろう。そういうところがこいつの美徳だ、とホルマジオは思った。 席を立って戸口まで歩いたところで、ホルマジオはふと立ち止まってふり返った。 カウンターの中には、すらりとした身体にプラチナブロンドの巻き毛の、黙ってりゃあ見た目は悪くない(ついでに言うと、作るカクテルも悪かねぇ)バーテンダーが、タンブラーを磨いている。 (だが、奴はバーテンじゃねぇ。バーテンのふりした殺し屋だ。) 彼は自分に向けられている視線に気付くと、「まだ居たのか」という視線をホルマジオに向けた。 隠し立てしないむき出しの感情に、ホルマジオは苦笑すると、思い出したように付け加えた。 「お前、そのカッコで甘いカクテルの一つでも作ってやってみな。どんな女でも落ちると思うぜ。」 その言葉にカッと赤くなったバーテンに、Ciao、と別れを告げて、ホルマジオは夜の街へ出た。 「…ま、あいつはまだまだ青臭ぇガキだが…あそこでキレて店中のグラスを叩き割らなかっただけ、前よりゃ成長してるわな。」 煙草に火を点けながらそうひとりごちると、彼は機嫌よく鼻歌を歌いながら、ネオンの煌く夜の街に、人ごみに溶けるようにして消えていった。 On the Rocks |