「ね、シリウス、聞いてる?」
の少し怒ったような口調に、隣のテーブルで談笑していたジェームズ、リーマス、ピーター、リリーの四人は思わずお喋りをやめた。
そちらを向くと、肘をついて背を向けるような格好のシリウスに、が口に手を当てて大声を出しているところだった。
「おーい、シリウスの耳は聞こえてますか?」
「うっせぇな、聞こえてるよ!」
シリウスが迷惑そうに答えた。しかも顔すらに向けずに。はムッとして、なんとかシリウスにこちらを向かせようとがんばっているようだった。あまり成果は期待できないかもしれないけれど。
甘い愛をささやき合う恋人たちの会話には程遠い(かすってすらない)と思いながら、リリーはジェームズに厳しい刺すような視線を向けた。
そしてまた、こちらも恋人にかけるとは思えないくらい低い声色を出したので、臆病なピーターが少し身震いした。
「なに、あれは」
リリーがご立腹なので、ジェームズはなんとかその機嫌を建て直そうと愛想笑いをしてみたけれど、こちらも成果はまるで期待できなかった。
こうなったらせめて前向きに考えるしかない。ジェームズはシリウスのせいでとばっちりを受けませんようにと願いながらやさしく聞き返した。
「なにって?」
「とぼけないでよ、ジェームズ。あなた、またシリウスの気を逸らすようなことを計画してるわね?」
「気を逸らすようなことってなに?」
リリーとジェームズに割り込んでピーターが尋ねた。
「シリウスがをほったらかしにする原因のことだよ。つまり、リリーは悪戯を思いついたジェームズが、シリウスに計画を立てさせてるんだろうって言いたいんだ」
リーマスがにっこりして親切に答えた。そのあと、ピーターに顔を寄せてひそひそと言葉を足した。
「それから、リリーの神経を逆撫でするから、ピーターは黙っていてくれないかな」
「は、はい……」
ピーターがしゅんとして下を向くのを見届けてから、リリーがジェームズに再び目を向けた。
人差し指を丸メガネの真ん中に突き立てると、ジェームズのハシバミ色の目が吸い寄せられるように中央に寄った。
「あなたね、少しはの気持ちも考えてごらんなさいよ。
あの子はあなたたちの馬鹿みたいな言動の犠牲になってるのよ。
しかもあんなどうしようもない男のことを間違えて好きになっちゃったばっかりに、一生しあわせになんかなれないわ。
ならもっとちゃんとした素敵な男の子と付き合えたのに……もしかして、毒でも盛ったの? そうだわ、きっとそうに違いないわ――かわいそうな。
しょっちゅう放っておかれて、たまに隣に座ったかと思ったらあれだもの」
リリーの怒りが、フツフツと頂点に達しようとしているのは明らかだった。シリウスは今、自分の背中で完全にとの壁をつくり、何かを夢中で書いている。
目を細めたって宿題をやっているようには見えなかった。まるで悪戯しているときのように集中している。
本当はそんな計画なんてしていないのに、シリウスは疑われても仕方がないほどの熱中ぶりだとジェームズは思った。
「だいたいあの人、のことをちっとも大切にしないじゃない。
とてもじゃないけど恋人に話すような口調じゃないし、乱暴だし、絶対に気を遣わないし。私、そういうのは大切だと思うの。
恋人は大切にしなくちゃいけない存在なのよ。それに――これからがとっても問題なんだけど――デートをすっぽかしてスネイプを宙吊りにしたり、せっかく手をつないで歩いてたってスネイプを見つければを捨ててきちゃうのよ。
スネイプ、スネイプ、スネイプって……あの人、スネイプと付き合ったほうがいいんじゃないの?」
ジェームズは、リリーがどれだけ怒っているかわかっていながら、シリウスとスネイプが手をつないで歩いてるのを想像してブッと吹き出した。
「笑いごとじゃないのよ、ジェームズ!」
案の定、リリーの厳しい喝が飛んだ。
「いいわ、あなたたちがシリウスの馬鹿の根性を叩き直せないって言うなら、私は断固としてに別れを勧めますからね。
私、のことをとっても気に入ってる男の子を知ってるんだから」
「リリー、それはやりすぎだよ。シリウスだってが嫌いってわけじゃないんだから……わかるだろう? ちょっとでも気に入らなきゃ口も聞かないんだ。
女の子だからって容赦しない――シリウスはそういう性格さ。
あんなふうにシリウスの耳元でどなってごらんよ、親友の僕だってきっと酷い目に遭う。でもは元気に生きてるだろ」
「を殺したりしたら、私があいつもあなたも呪い殺してやるわよ!」
リリーがついに立ち上がり、ジェームズに噛みつかんばかりに怒鳴った。
さすがのジェームズもたじろいだその時、隣のテーブルでが席を立った。それに気がついたのはリーマスだった。
「あ、がどこかに行くみたいだ」
「本当だわ。ねえ、?」
急に可愛らしい口調になってリリーが声をかけると、がこちらを振り返った。シリウスはが立ち上がったことすら気にしないでまだなにかに没頭している。
は寂しそうな顔で小さくため息を吐いた。
「どこに行くの?」
「寝室。本を取ってくる」
が短く答えて女子寮のドアの向こうに消えた。そのドアが完全に閉じるのを待って、リリーがシリウスの背中を睨んだ。
これまで我慢してきたものが一気に噴出したらしい。
これをなだめようものなら自分たちの関係が危ないとジェームズは恐ろしくなった。
今は鬼のようでも、普段はやさしくてかわいらしい花のような女の子だ。
「あいつに文句を言ってくるわ!」
肩を怒らせてリリーが歩いて行くのを、ジェームズとリーマスは心配そうに見守った。ピーターは恐怖で口も聞けない状態だった。
リリーはシリウスの顔が見えるように回り込み、こちらと向かい合うような形で腰に手を当てた。
騒々しい生徒たちのお喋りの間を縫ってあなたねぇ、と文句を言う声が聞こえてきそうなものなのに、なぜかリリーはすぐに驚いた顔になり、腰に当てていた手も下ろしてしまった。
顔までは見えないけれど、シリウスの方も迷惑がるようすはない。むしろ自ら進んで没頭していた何かを見せているようだった。
リリーの顔が赤くなり、最後は美しい笑みまで見せてシリウスの肩を叩いた。テーブルに戻ってきたリリーは、ほんの数分前とは別人のような顔をしていた。
「どうだった?」
ジェームズが聞いた。するとリリーは、まるで愛の告白でも受けたかのように夢見るような表情になった。
「シリウス、絵を描いてたわ」
「絵?」
ジェームズもリーマスもピーターも、みんな驚いて声を上げた。リリーはまだうっとりとしている。
「そうよ。たしかにあんまりうまくはなかったけど、のことを本当によく見てるってわかったわ。
笑い方や仕草も、その絵を見てすぐにだってわかるの。シリウスったら、子供みたいに無邪気に『似てるだろ?』って笑うのよ。
のことを本当に想ってるんだわ――そうじゃなくちゃあんな絵は描けないもの」
「……じゃあ、を描くのにあんなに夢中になってたってわけ?」
誰に言うわけでもなく、ジェームズがただ呆然と気の抜けた声でつぶやいた。シリウスが一番バカにしそうなことなのに、それをシリウス自身がやってるなんて――リーマスもショック状態だった。
隣のテーブルにそんな衝撃を与えていたことも知らず、シリウスが荷物をまとめてやってきた。そして、ジェームズ、リーマス、ピーターを訝しげに眺めてから言った。
「俺はベッドに行くぜ。またあいつが戻ってきたらうるせぇからな」
誰も返事を返せなかった。
シリウスのほうはそんな返事を期待していたわけじゃなく、自分の用件だけ言うとさっさと歩いて行ってしまった。
シリウスが行ってしまうと、入れ代わりにが戻ってきた。さっきまで自分とシリウスが座っていたテーブルが空なのを見つけて、あからさまに落胆していた。
「シリウスは?」
その声は今にも泣きそうだった。
このところずっと放っておかれて自信を失くしているのかもしれない。
その自信を取り戻すことを教えてあげられるのに、リリーもジェームズももちろんピーターも口を開かなかった。
「シリウスならベッドに行ったよ……あ、でも今また戻ってきたけど」
男子寮のドアを指差してリーマスが言った。がそちらを向くと、シリウスがドアから半身を出して手招きしているところだった。
手招きされただけなのに、はうれしそうに顔をほころばせ、談話室を横切ってシリウスのところまで走っていった。
シリウスはを受けとめ、そっと髪にキスを落とした――たぶん、にはわからないようにそっとだ。
そんな二人を見つめながら、頬杖をついたリリーがため息をついた。
「いいな……私、が羨ましくなっちゃった。今のシリウスの顔、見たでしょう? どうしてあんな優しい顔をには見せてあげないのかしら」
「ち、ちょっと、リリー! 今のは聞き捨てならないぞ。羨ましいだって……僕がいるのに!」
慌てたジェームズが、必死にリリーの視界に入ろうともがいている横で、リーマスが冷めた目でポツリと漏らした。
「早く別れればいいのにな、とシリウス」
それを耳にしたピーターは目を見開いてリーマスを凝視した。どうやらリーマスは本気らしい。
がシリウスと離れて、青白い顔をしたピーターを心配して「どうしたの?」と聞くのはもう少し経ってから――
今はあともう少し、シリウスが満足するまでその腕の中に。
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