変身術のレポートを終えて、くっと伸びをする。二時間も三時間も座りっぱなしだったせいで、お尻も痛いし肩も痛い。思わずため息が漏れる。


「っあ〜〜、疲れたぁ。」
「? 何だって?」
「あ、ごめん、日本語だった。」


呟いた言葉に、シリウスが怪訝そうに私を見たので、アイムタイアード、と訂正する。
するとシリウスは、私の向かいで同じようにレポートを書いていた手を止めて、不服そうに私を睨んだ。ん?何だ?何かしたかね私?


「シリウス機嫌悪い?」
「お前。」
「お前じゃないよ。」
。」
「は、」
「お前もう日本語喋るなよ。」


結局お前って言ってるじゃない、と思いつつ、私はシリウスの言葉を脳内でよく咀嚼してみることにした。ふむ。
日本語を喋るな。


「それは無理だよシリウス。」


特に慌てもせずに平然とそう返すと、シリウスは拍子抜けしたように私を見た。あ、この顔ちょっとかわいいな。私が怒ると思ってたのかな。なら最初から言わなきゃいいのに。
しばらくぽかんとしていたシリウスは、思い出したように機嫌悪くしかめつらをして、ちいさい子供みたいに呟いた。


「…何でだよ。」
「だって私日本人だもの。知ってるでしょ?」
「知ってるけどココはイギリスだ。お前も英語を喋るべきだ。」
「喋ってるじゃない。それに私から日本語を取り上げられると、私のアイデンティティうんたらの問題が。」
「意味分かって使ってるか?」
「…うんごめん、よくわかんない。」


そこでシリウスは、はは、と光るように笑ったけれど、すぐにハッとして仏頂面に切り替わってしまった。ほんとこういうところかわいいなぁと思う。かっこつけたがりなんだよ、ねぇ。でも全然隠しきれてないんだけどね。根が素直だからねシリウスは。
もっともらしく顔をしかめた彼は、提出期限が間近のレポートのことはすっかり頭から追い出してしまったらしく、代わりに以下のようなことを私に語った。


「とにかく俺は日本語が分からないんだから、俺と一緒に居るときくらいずっと英語を喋っていろよ。」
「うん、というか普段わたし英語喋ってるよ。さっきのはぽろっと洩れちゃっただけで。」
「そーいうのも嫌だ。」
「…。」


彼らしくない、と思った。
シリウスは確かに傍若無人で他を省みないようなところはあるけれど、基本的には人に無理難題を押し付けるような人ではないし、私は日本人なんだから、脳みそ内言語のほとんどは母国語で構成されているわけで、ついうっかり日本語で喋ってしまうことも仕方ない。彼もそれはちゃんとわかっているはず。
とにかく何だかシリウスの様子がおかしいので、私は「善処します。」とちょっと頭のよさそうな返答をして、とりあえずその場を取り繕ったのだった。









と図書室でレポートを仕上げていたはずのシリウスが、やけに早く部屋に戻ってきたので、僕は「これは何かあったな」と踏んだ。彼はレポートが二つも残っていたはずだから、こんなに早く終わるはずはないのだ。
案の定部屋のドアを乱暴に閉めて自分のベッドにインク壷、羽ペン、羊皮紙の束など勉強道具その他、口に入れると爆発するガムと、なんか緑色のねばねばしたスライムの瓶詰めやなんかを放り投げると、彼はしばらくじっと虚空を睨んだあと、おもむろに「うああ!」と意味不明な叫び声をあげて頭をかきむしった。こりゃ相当キてるな。


「やあやあやあ敬愛するわが友シリウス・ブラック君?どうしてそんなにグロッキーになっているのかな?」


僕が純粋な好意からかけた言葉だというのに、彼は一度胡散臭げな目でこちらを見ると、あからさまなため息をついてベッドに腰掛けた。


「おいおい、その反応はちょっと失礼じゃあないかい?君の親友ジェームズ・ポッターが力になってあげようとしてるんだからさ。」
「自称親友な。というかお前に話してもどーにもならねぇから…寧ろ悪くなりそうだし…。」
「さ、遠慮せずに話したまえ!」


僕がにっこりと爽やかな笑顔で促すと、シリウスはがっくりとうなだれ、それから不承不承といった感じで図書室での出来事を話始めた。ふんふんなるほどね。まぁ要約すると、に「日本語喋るんじゃねぇ!」とくってかかったと。


「おい!それは色々間違ってるぞ!いや、主旨は合ってるが…別にそんなきつく言ったわけじゃ…!」
「君わかってないね。に『日本語喋るな』って言ったってことは、彼女が日本人であるというアイデンティティを踏みにじったということだよ?」
「…お前アイデンティティの意味分かって使ってるか?」
「愚問だね。」


僕が至極まじめにそう返すと、シリウスはぐっと言葉に詰まり、がっくりと肩を落とした。ほんとのことになると彼は面白いほどに分かりやすい。


「彼女がホグワーツに入学したばかりのころ、英語の勉強相当頑張ってたって君が一番よく知ってるよね?彼女は努力した。英語が話せないってことをハンデにしたくなかったからだ。知らない土地で母国語ではない言葉に囲まれるストレスを僕らは知らない。彼女はそれを乗り越えた。それなのに君は自分の我儘で日本語を取り上げて、これ以上彼女を追い詰めたいの?」
「違う!!それは…。」
「わかっているさ、そんなはずはない。君はそんなやつじゃない。だとしたら他に理由があるんだろう?」


そうまくし立てて締めくくりににっこりと笑うと、シリウスはぽかんとした顔で僕を眺めて、それから「おまえ喋りすぎだ。」と少し照れたように呟いた。
そして一度ため息を吐くと、彼が提出期限間近のレポートの存在を頭から消し飛ばしてしまうほど恋してやまない女の子に、なぜそんな台詞を放ったのか、その理由をぽつぽつと語り始めた。










































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