彼のことについて語るのは簡単だと思う。思い出の断片を集めて、線上の歴史に少しずつ枝葉をつけていけばいいんでしょう?でも、彼という人は、全然簡単な人なんかじゃなかった。
言葉は、なんだって出来る。言葉で世界を滅ぼすことも。いつだって嘘だから、限りなく真実。これは彼が教えてくれたこと。その点で彼は、悲しいくらい正直で誠実な人だった。あんたが期待しているような話を、私から聞きだせると思わないでね。私は誠実に語るけれど、それで彼を理解するのは無理だと思うわ。先に言っておく。










或る暗殺者についての記述















生まれた年は知らない。死んだのは2001年の春。あんたがさっきそう言ったわね。
よく嘘をついてたわ。いつも右の目をマスクで隠していて、理由を聞いたら、「病気を持ってるからさ。君に伝染したら困るし」とか、「実は左右で目の色が違うんだ。デヴィッド・ボウイみたいだろ」とか、毎回言うことが違ってた。
近づく人はみんな中てられてしまうような、ギラギラしたオーラを放っていたわね。そのくせ何ヶ月かに一度、気の抜けたソーダ水みたいになっちまうのよ。そういう時は、セックスだってしてくれないの。二重まぶたで、睫が長くて、髪は蜂蜜をとろかしたような甘い色だった。
快楽というものが何か知っていて、それを自在に操って、人を翻弄するのが趣味で、いつだって孤独で、でもそれを楽しんでいるような人。
彼にとって、世界の全ての事象は自分と関係ないところで起こっていたわ。知人の死だってセックスだって。たとえ自分が人を殺したって、彼はそのことを、遠い砂漠で一本の針が砂に埋もれちまったようにしか感じないのよ。つまり、気にかける価値もないってわけ。


『息子』を創るのが趣味なんだと言っていたわ。『息子』を教育して、どんどん成長していく様子を見るのがたまらなく快感なんだって。なぜ『子供』じゃあなくて『息子』なのかは教えてくれなかった。
「私と『息子』を創る気はないの?」と戯れに誘ってみたら、彼はにっこり笑って「気が向いたらな」って言った。その時思ったの。この人は、必要に迫られれば、私のことだってためらいなく殺すんだわ、って。


最初は、ただ遊んでただけだった、二人とも。彼は本当に、ただ楽しむためだけにセックスするような人だったし。快楽を求めているわけじゃあなかったのよ、彼にとって楽しかったから。それだけ。でも心から楽しんでいるはずなのに、彼はいつだって仮面をかぶっているように生きていたわ。






彼が変わり始めたのは、一人の男が彼のチームに入ってきた日からだった。よく覚えてるわ。だって、彼が始めて自分の仕事仲間について話してくれた日だったもの。
「つまんねぇやつさ。」
彼はそう言って大きなあくびをしたけど、私は何となく、彼がその男に興味を持っているんじゃあないかと思った。根拠なんてないわ。ただ、いつも目の前にあることしか見なかった彼が、その日はどこか遠くを見るような眼をしていた…何となく、そんな気がしただけ。




彼は自分のことや仲間のことについて、ほとんど語らない人だったから…というか、ただ単に興味がなかっただけだと思うわ…その点では私はあんたに何の情報もやれないけど、彼とその男のことなら、少しだけ知っているわ。




私のカンはぴったり当たっていて、彼はその男のことを、よく話して聞かせてくれるようになった。名前はギアッチョ。笑っちゃうわよね、氷だなんてさ。
「冷たいひとなの?」と冗談で訊ねたら、彼はしばらく楽しそうに逡巡したあと、「そうでもないかな」と答えた。何となく妬けたから、その日は特別楽しい夜にしてやったわ。


そのギアッチョという男について、彼は色んなことを話してくれた。
気に入らないニュースやテレビ番組があると、そのたびテレビのブラウン管をブチ割ろうとするとか、にわか雨の後の空を振り仰いだのが、柄じゃないのに似合ってたとか。そんな他愛もない、どうでもいいようなこと。
殴り合いの喧嘩もしてたみたいだった。って言っても、殆ど彼が殴られ役だったみたいだけど。彼の指…意外と骨ばっていて、でもしなやかで綺麗な…彼の拳が割れてたことなんて、一度もなかったから。その代わり、体中に青あざを作ってたっけ。それで仲が悪いのかと思っていたんだけど、そうでもなかったみたい。そのひとのことを話すとき、彼、まるで普通の人みたいになっちまうのよ。嬉しそうで、笑顔で、でも、どこか諦めてる…そんな感じ。


そのひとの名前を呼ぶとき、彼はいつも睫を伏せて、少し微笑むの。「ghia」をやけに強調して、「ccio」は、消え行くように、寂しい音で。それを聞くたび胸が熱くなった。感情の宿った彼の声が、こんなに美しくて悲しいものだなんて、全然知らなかったのよ。
細い糸を少しずつたぐるようにして、彼の心が、そのギアッチョという男を探し始めていたこと。他人に興味なんて、うわべだけでしか持たないひとだったのにね。




彼と最後に会ったのは雨の夜。
ずぶ濡れの彼が、夜中に突然私の部屋のブザーを押したの。びっくりしたわ。他の男を呼んでなくてよかった、って心底思った。そうだったら、その男を部屋から追い出さなきゃならなかったもの。
部屋に上げてバスタオルを渡すと、彼はタオルにくるまってしばらくぼんやりとしていた。どこもかしこもぐしょぐしょの濡れ鼠で、その瞳は光りを失っていたようだった。
ホットミルクを注いだマグカップを渡すと、彼はそれを両手でつつみこむようにして眼を閉じたわ。長い睫が少し震えてた。
「あのひとのこと?」と私は訊ねた…。彼は静かに眼を開いて、何か言おうとしたけれど、結局何も言わずに口を閉ざしてしまった。こんな彼は初めて見たわ。いつだってバカみたいに笑って、嘘ばかりついて、言いよどむことなんて絶対無くて、氷のように冷たい心を持っていた彼が。




あのひとが怪我をして帰ってきたんだと言った。
彼の仲間のたまり場みたいになってるアパートに、血みどろの姿で帰ってきたんですって。全身に浴びるように銃弾の痕があったけれど、特にひどかったのが右腕の骨折で、折れた骨が皮膚を突き破って腕の側面から外に飛び出ていたらしいわ。
「俺は逃げてきたんだ」って彼は言った。「血まみれのギアッチョの手が…肉の間から骨の飛び出た赤い右腕が、空を掴むように伸ばされて、そして…そして一度だけ、俺の名前を呼んだ…。俺はその手を振り払った。部屋を飛び出して来たんだ」って。何の感情もこもってない、ひやりとした鋼鉄みたいな声だった。私は「でもあなた、人を殺す仕事をしていたんじゃなかったの」って訊ねた。だってそうでしょう?人の死なんて、彼にとって、自分と全く関係の無いことだったのよ。だからそんな仕事が出来ていたはずだった。
「あなたは一体何から逃げてきたの」、私は言った、静かに…雨音が、とても素敵な夜だったのよ。




彼は目を伏せて…顔を覆う前髪の間から、マグカップの中のミルクに視線を泳がせていたわ。まるでそこに沈殿する様々なものから、本当のことを探し出そうとするように。彼の濡れた髪の毛から、クリスタルみたいな水滴がひとしずく、つい、と銀色の糸を引いてカーペットに吸い込まれていった。彼は目を伏せたままで、「人間ってのは、色々複雑だな」って少し笑った。


おもむろにマグカップを置いて、「帰る」と立ち上がった彼を、玄関まで見送ったわ。ドアのところで彼が振り返ったの。きれいな瞳。「…あのひとのこと、愛してるの?」って訊ねたら、彼は「それこそ俺が逃げてたものさ」って言って、笑った。愛してるとは言わなかったわ。
別れ際に彼は二回キスをくれて…それから、私のことを抱きしめたの。こんなこと、初めてだった。私、彼のこと何も知らなかった、ってその時思った。「グラッツェ。愛してた」、彼は私の耳元でそう囁いて、それから、幻のようにドアの向こうに消えていってしまった。残ったのは、夜の静かな雨の音だけ。彼は最後まで嘘ついてた。結局ミルクは少しも口をつけられないまま、冷めてしまっていたわ。










私の話はこれでおしまい。彼が生きてる間は、こんなこと誰にも話しやしなかったのにね。あんたが何で彼のことを聞きたかったのか知らないけれど…名前なんていうの?ジョルノ…夜明け…あら、素敵な名前じゃない。とにかくジョルノ・ジョバァーナさん、彼がどんな風に人を殺してたかとか、彼のチームが一体どういうものだったのかとか…あんたが聞きたかったことのほとんどは、彼を語る上で全く意味のないことだわ。
彼は孤独で、嘘つきで、でも寂しい人ではなかった。
大事なのは、彼が愛を知っていたということ。それだけなのよ。




























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