ぱしん、と痛みの弾ける音がして、俺はギアッチョにはたかれた自分の左手を見た。
はたいたっつっても、ごく軽くだ。痛みなんてほとんど感じなかった。
自分がそうしたくせに、ギアッチョは何故かひどく驚いた顔をして、俺の方を見ている。
ああ、ここは何か言わなきゃな、俺が。
何となくそうしなければならない気がしたので、俺はほんの一瞬、言葉を探して逡巡した。




日曜日の太陽は、惜しげもなくぎらぎらと照りつけて、しかし市場の人々はそれにも負けないくらいぎらぎらと輝いていた。
アジトの食料が底をついたとかで、俺とギアッチョがパシられることになっちまったんだが、まぁ二人で出かけるっつーのも悪くねぇよなーとニヤニヤしていたら、それが気に入らなかったらしいギアッチョに殴られた。
絶え間ない客引きの声、世間話をするじいさんたち、信じられないくらいの大荷物を抱えて颯爽と歩く母親と、その後ろをついて歩く子供たちで、市場はごったがえしていた。
俺とギアッチョは、人波の間を縫ってつかず離れず歩いていたのだけど、ふとすれ違ったカップルがステディに手を繋いでいたのに、俺は一瞬目を奪われた。


(へぇ、いいなぁ。)


別に深い意味は無かった。単純に、そう思ったから行動しただけで。
「なぁギアッチョー」と話しかけながら、ヤツの右手に何気なく指をからめたら、一瞬だけ走った痛みと、市場の雑踏よりも鮮明に俺の耳に滑り込んできたのが、ギアッチョが俺の手をはたいた音だったのだ。




拒絶、ということを忘れていたように思う。
あまりに自然に傍に居るから、それ以外の状態っつーのを考えたことが無かった。一緒に街を歩いて、時々肩をたたいて、振り向いて殴られて、そういうもんだと思っていた…。どこか安心して、心を許していたらしい自分に、俺は初めて気がついた。


俺は少しの間考えて…未だにショックを受けたような顔をしてるギアッチョに、「なんだよ、ちょっと手が触れただけだぜ?そんなに意識しなくてもいいじゃねぇか」と、冗談ぽく笑ってみせた。我ながら上手くいったと思う。ちゃんと笑顔だったはずだ、いつも通りの。
頼ることにも信じることにも興味はなかった。なかったはずなのに、いつの間にか頼ったり信じたり…ギアッチョには…していた自分に何となく腹が立った。しかもそれに気付いたのがギアッチョに拒絶されたからだなんて、滑稽すぎて笑えもしねぇ。
「早いとこ買い物済ませちまおう」と、俺は足早に市場の人混みへと足を向けた。


「待て。」


呼び止めるギアッチョの声に、俺は静かに振り向いた。ちゃんと笑顔で、だが心ン中じゃあ笑ってなんかねえ、『その他大勢』に向けるのと同じ顔で。
俺の表情を見てギアッチョは少し眼を見開くと、機嫌悪く眉根を寄せて、「ついて来い」とだけ言い放ち、市場と逆の方へさっさと歩いていってしまう。


「あ、おいちょっと待てよ。」


俺は反射的にギアッチョの後を追いかけた。
メルカートへ向かう人の流れに逆らって、俺とギアッチョは一定の距離を保ちながら歩いていたのだが、あんまりにもギアッチョが足早なので、実際俺は付いていくのがやっとだった。


人の波に隠れて、ギアッチョの背中はどんどん遠くなってしまう。俺は何だか面倒くさくなってしまって、「そもそも何で俺がギアッチョの後を付いて行く義理があるんだ、俺のことなんざ気にもかけず歩いているくせに」と、足を動かすのをやめた。
女々しいようだが、これは俺の最後の期待だった。もしかしたら、ギアッチョは振り返るかもしれない。俺が居ないことに気付くかもしれないと。しかし、ギアッチョは振り向きもしなかったし、俺のことなんざまるで気にかけず、あっと言う間に人波の向こうへ消えていってしまった。


フン、と俺は息をつき、真昼の石畳に落ちた自分の影をみつめた。俺はさながら絶海の孤島だった。くるりと踵を返すと、人の流れに乗ってでたらめに歩き始めた。市場へ戻るつもりはない。アジトに戻ったらプロシュートあたりが怒り狂うだろうが、それもどうだってよかった。


フラフラと漂いながら、夏の日差しの中を歩いていく。人の波をかわしながら当てもなく歩いていくのは、思いのほか楽しかった。退屈しのぎには丁度いい。みちゆきによさそうなジェラート屋を見つけたので、何か食ってくか、と足を向けたら、いきなり後ろから誰かに腕を引っ張られた。


「痛ぇ!」
「ついて来いつったろーがよこのボケがッ!!」


俺の腕を引いたのは他でもないギアッチョだった。肩が少し上下していて、見れば首筋にうっすら汗をかいていた。俺を探してたのかな、と少し考えたが、もうそれも俺の中でどうだっていいことのほうに分類されつつあったので、「ああ、ごめん」と適当に謝って、それじゃあ市場へ行こう、と踵を返した。


「来い。」
「え?おい!」


ギアッチョは俺の腕を掴んだまま、また市場と反対の方へずんずん進んでいく。おいおい一体なんだってんだ。まさか手ェ繋ごうとしたくらいで半殺しに…いや、ギアッチョならありえなくもないな…。そんなことを考えていたら、いつの間にか人通りの少ない路地に入っていて、ああこりゃいよいよ殴られる、と俺はため息をついた。
ところが、歩みを止めたギアッチョは、いつまでたっても俺を殴る気配がない。黙ったまま、ぐい、と石畳を睨みつけている。


「おいギアッチョ、あんた一体何がしたいんだ?」
「…何かしたいのはテメーの方だろが。…手。」


言われて自分の手を見ると、俺の腕を掴んでいたはずのギアッチョの手が、いつの間にか俺の手を包み込むようにして握っていた。
「繋ぎてーんだろうが」と、苦々しく言うギアッチョを見て、俺はいたたまれない気持ちになった。はっきり言ってむかついた。俺は別にこんな風にしたかったわけじゃない。誰がイヤイヤ手なんざ繋いでいただくものか。


「しらねーよ、ンなん気持ち悪ィ」とギアッチョの手を抜け出して、路地を出ようとしたら、ギアッチョはいきなり「あーーー!!畜生ッ!!」と叫んで、俺の手を掴んで乱暴に路地に引きずり戻しやがった。


「痛ぇないきなり!」
「……。」


声をあげる俺を黙殺すると、ギアッチョは俺の左手を握ったまま、壁に背を預けてそのままずるずると座り込んでしまった。余った左手で頭を抱えたギアッチョを見て、俺は何だかむなしくなってしまって、「なぁ、別にいいんだぜギアッチョ、いつもの通り殴ってくれりゃいい。それで全部解決するから」と呟いた。繋がれた手がむなしいだなんて、こんなことあるんだな、と思いながら。
ギアッチョは少し頭を上げて宙を睨むと、自分の左腕の中で、何かぼそぼそと呟いた。


「え?」
「………怒んじゃねーよ、頼むから。」


そう呟くと、ギアッチョは「あーーークソッッ!!」と叫んで、また頭を抱えてうつむいてしまった。繋いだ手は意地でも離さないつもりらしかった。そういえば心なしか、顔が赤い、ような。
俺は右手で頬をかくと、「アー、エート」と呟いて、ギアッチョの隣に腰を下ろした。


「あんた、その性格で今まで色々ソンしてきたろ。」
「…悪ィか。」


ギアッチョの返答に俺は笑って、いいや、と返した。


「俺はあんたのそういうところを、とても愛しいと思うよ。」




殴られるかと思ったけど、ギアッチョは左手でくしゃりと一度自分の頭をかき回しただけで、それから…それから、繋いだ手のちからが、少しだけ強くなった。
左手から伝わる鼓動。やさしみの手の温もり。骨ばっていて俺より少しだけ大きな、ギアッチョの手のひら。二人の心が、ただこの繋がれた手のように、二人の間にあればいい。
失くさないように握っていよう。なぁ、ギアッチョ。












語らうてのひら





-つなさん、相互リンクありがとうございました! 青子
































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