「イルーゾォ、ギアッチョが寝てる。」 「そりゃ寝るだろ?ギアッチョだって人間なんだから」 灰色の空に、ちらちらと初雪の舞う夕方だった。メローネと二人で外から帰ってくると、アジトのソファでギアッチョが寝息を立てていた。ソファにななめにもたれかかって眠っているギアッチョを、メローネが上から覗き込む。 メローネの黒いコートの肩には薄く積もった雪が、暖かい部屋の温度にうっすらと溶け始めていた。 俺はクッチーナへ直行だ。熱いエスプレッソが欲しい。かじかんだ指を温めるための。 「お前も飲む?エスプレッソ。」 「グラッツェ、もらうよ。しかしこの格好じゃギアッチョ、寝違えること確実だな。」 「じゃ起こしてやれよ。」 「嫌だね。無理に起こそうとするとどうなるか知ってる?こないだ裏券くらって鼻が折れるかと思った。殴った本人は夢の中さ。」 「ひでえなあ。」 俺はエスプレッソマシンの準備をしながら笑った。そのシーンをいとも容易く想像することができる。 チームの若年組(俺、ギアッチョ、メローネ、ペッシのことだ)が贔屓にしてるカフェで買ったコーヒーと、水をマシンに注ぎ、エスプレッソマシン用の金具をコンロにセットして、火にかける。温かくクッチーナに広がるコーヒーの香り。思わず目を細めて笑う。冬がやってきたんだな。 「でも、ギアッチョがあんたを容赦なく殴るのも、なんとなく分かるよ。あんた割りと頑丈だから。ちょっと殴ったくらいじゃ、壊れそうにないもんな。」 「なんだその理由。ま、身体にゃ自信あるけどね。少なくとも色白モヤシのイルーゾォちゃんよりは。」 メローネはソファに腰掛けたままおれの方を見て、いたずらっぽくニヤリと笑った。俺も笑って肩をすくめる。 コポコポと小気味良い音を立てていたエスプレッソマシンが静かになった。 ミトンをはめた手でマシンをとりあげ、ふたつのカップにエスプレッソを注ぐ。凝縮された湯気と香り。コーヒーをカップに注ぐ瞬間が、冬には特別愛しいものみたいに感じる。 カップを持ってリビングに行くと、メローネは飽きずにまだギアッチョの寝顔を覗き込んでいた。いつもどおり、かなりの至近距離で。 「見て、ギアッチョ、寝る時まで眉間に皺が寄ってる。」 「誰かさんが夢に出てきてんじゃないの。」 「ワオ!だったら本望だね。」 俺がカップを差し出すと、メローネはグラッツィエ、と笑ってそれを受け取った。蜂蜜色の髪が揺れる。窓の外は相変わらず雪が降っているけど、彼のコートの肩の雪はすっかり溶けてしまった。 いつからか、移り変わる季節を愛することを、悪いことだと思わなくなった。くだらない話をして、軽口をたたきあい、今日みたいな寒い日に、共にエスプレッソを飲むことができる同僚たちが、俺にその感情を許したのだ。 俺は孤独だった。人はだれでもそうだ。 自分だけが特別。自分だけが孤独。自分だけが寂しい。自分だけが大切。 今も俺は孤独だが、一人ではなくなった。ふたりぶんのエスプレッソの香り。肩に積もった薄い雪。ソファから聞こえる小さな寝息。隣に居る誰かの孤独。家路を急ぐ誰かの足音を、じっと待っている時間。 俺は自分だけが大切だ。だから、俺が愛しているこの場所を、奪われたくはない。誰にも。 そして多分…メローネにもギアッチョにも、チームの他のメンバーにも、きっとそれは同じなんだと思う。 みんな、自分だけが大切なんだ。それでいい。例えエゴイズムでも、俺たちは同じものを守りたいと思っているんだから。 「…ギアッチョの眉間の皺、伸ばしてやったら?」 「嫌だよ。どうせまた殴られるんだから。」 エスプレッソを飲みながらメローネに促すと、メローネは笑って、ギアッチョのくるくるの巻き毛にそっと指を絡めた。 灰色の街に雪が降る。寒々しい街角。しかし、家々の四角い窓の中には、温かい灯が点り始める。曇った窓の内側で、誰かが、誰かと、笑いあい食事をし、温かいカッフェを飲んで、家族や友人を待っている。 エスプレッソのカップから立ち上る、湯気の香りを味わって、俺は笑った。 温かい硝子戸の中の、いくつもの物語のうちの一つだった。 |