夜景がまるでゴミみたいに煌いている…


そう呟いてジェラートと言う男は笑う。
灯りを落とした暗い部屋の中で、運河をゆく船の灯りが、窓から微かにジェラートの横顔を照らし出すのを見た。




古ぼけたホテルの一室だった。
ひび割れてカビ臭い壁と、天蓋の壊れたベッドが、小汚い部屋を一層みすぼらしく見せていた。夜がゆっくりと窓を開け、部屋の中に忍び込み、殺しの時間が近いことを告げる。運河を行く船の汽笛が、宵闇にかすむようにして聞こえてくる。


「河がある街じゃあないと暮らせないんだ。」


ジェラートの言うことは、大概いつも唐突で、ひどく夢想染みていた。
暗い部屋の中で俺は一瞬だけ顔を上げたが、すぐにまた手元の銃に視線を戻した。こいつのくだらねえ妄想に付き合ってやる義理はねぇ。


「おいソルベ、聞いているのか。」
「聞いてねぇよ。黙れ。」
「なんだ、聞いてくれてるんじゃないか。」


ジェラートはそう言って笑うと、窓の外に視線を移した。微笑んでいるその顔が、いつから本当に笑わなくなったのか俺は知らない。重要なのはこいつの仕事の腕が確かだってことだ。他のことに興味はない。


「昔母親が読んでくれた、遠い国の童話なんだ。北十字星から南十字星までの間を、天に浮かぶ河のほとりを走る列車に乗って、くだってゆくのさ。」


素敵だと思わないか。
そう問うともなく問うて、ジェラートはうっとりと運河に視線を滑らせた。暗い水面に浮かぶ街の明かり。燃える星が落ちたような、幾つもの揺れる緋色。


「何日もかけて読んでくれた…最後まで読み終わると、また始めから繰り返すんだ。俺の世界はそのたびリセットされて、また再生する。だから、河が北から南に流れる街じゃないと、住めないんだよ。」
「いつまでたってもガキのままのオツムだな。」


そう、こいつは子供だ。成熟しただけの子供。
残酷なほどの無邪気さで、人形を壊すように人を殺す。そして次の瞬間にはもう、明日晴れるか降るかっつーくだらねえことを心配している。
俺は銃をいじっていた手を止め、ジェラートを見た。
カビ臭ぇ部屋の片隅で、二流映画のワンシーンみたいに運河を眺めているジェラートの横顔が、運河の灯りに照らし出されて夢見るように揺れていた。


「分からないか?人々はみんな優しい…。鉄道を下る人たちは皆悲しいほど優しかった。街の灯りがキレイなのは、ちっぽけでくだらないからだ。人間だって美しい。使い捨てられて死んでゆく。ゴミのようだろ?そういう風に、優しく殺すさ。」




ジェラートは腕時計に眼を走らせて時間を確認すると、音も無くこちらにやってきて、俺の得物を手に取った。サイレンサー付きの銃。ゆっくりと目の高さまで持ち上げる途中で、運河からの灯りで銃身が緋色に光り、ジェラートの瞳がその色を反射して、一瞬だけ紅く燃え上がった。


「…時間だ。」
「ああ。」


ジェラートは笑うと俺の手に銃を戻した。
その時触れた手の冷たさ。一体こいつがいつから死んでいるのか、それだって俺にはどうでもいいことだった。笑いながら人を殺せる。それだけ分かっていればいい。そう、だから俺はこいつのことを、とても気に入ってる…。




立ち上がってドアに向かう途中で、ジェラートが歌うように呟いたのが聞こえた。


夜景がまるでゴミみたいに煌いている…
アラビアの砂漠で商人たちのキャラヴァンが、星を頼りに旅をする
ジャングルの森の中で、フランス兵とチュニジア兵が笑いあいながら煙草を交換している
今夜隣の部屋ではトルコ人とユダヤ人がキスをしてる
そんな気がする
気分は世界平和なんだ……



狭い部屋を出て扉を閉める直前、ジェラートは微かに笑って、運河に向かってキスを投げた。
煌く河のほとりを下って、カンパネルラ。夢を見る旅人は殺しに行く。
遠い銀河の岸、星々の間を旅する列車に乗って。




















河の岸





























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