ネアポリス市内外にいくつかあるアジトのうち、事務所も兼ねた一番大きなアパートの部屋には、簡素だがわりとちゃんとしたキッチンが付いている。
今居るメンバーはどいつもこいつも、チームに入ったばっかの頃は、俺がここで料理をしているのを、天変地異の前触れでも見るような目つきで見ていたもんだった。今じゃあ自分から手伝いを申し出たりして、俺の手料理にありつこうってヤツが殆どだが。


夕方のラジオではシャンソンが流れていて、物悲しい静寂に溶け込むようなフランス語が心地よかった。知っている曲だったので、ラジオに合わせて時々口ずさみながら包丁を動かす。人の出払ったアジトに、ラジオと包丁の音がシンシンと響く。




突然人の気配がしたので振り向くと、部屋の入り口にリゾットが立っていた。こころなしか憔悴しているように見える。リゾットはいつも書類の整理や仕事の後始末なんかで、俺たちがアジトとして使ってるリビングの、さらに奥にある事務室に居ることが多かった。今回も多分、そのくちだろう。ヤツは今日仕事はなかったはずだから。


「よう。なんか食うか?」
「…何を作ってる?」
「質問を質問で返すんじゃあねーぜ。オイルパスタとサラダだよ。食うのか食わねーのか。」
「…食べる。」
「よし。」


ヤツの返事に満足すると、俺は再び包丁を動かしはじめた。ルッコラを洗って笊にあげ、切り終えたトマトと一緒に皿に盛る。パスタもそろそろ茹で上がるだろう。


「っ、あっち!」


茹で具合を確かめようと、パスタを一本揚げようとしたら、熱湯が跳ねて手の甲を火傷した。


「クソッ!」


誰のせいでもないのだが、無性に腹が立つ。とにかく痕が残らないよう、水で冷やそうと蛇口に手を伸ばしたのだが。瞬間、俺の後ろからリゾットの手が、掠めるようにして俺の手をさらっていった。


「…何してんだ。」


リゾットは答えない。喋れないのだ。ヤツの舌が、俺の手の甲を這っているから。
知らず、身震いした。「そういう」舐め方をされてるからだ。
だが、俺は何となく気が乗らなかった。まだ夕方だ。飯も食ってねぇ。
そんなことを考えていると、リゾットは蛇口をひねって水を出し、いつの間に口から放したんだか、俺の手を水で冷やすと、俺を後ろへ押しやってパスタを笊に揚げ始めた。


「あ、おい俺が…。」
「いいからじっとしてろ。」


リゾットは手際良くパスタの湯を切ると、オイルと香辛料を混ぜてパスタソースを作り始める。さっきのことなど、無かったかのようだ。少し鎌をかけてみる。


「がっついてんのは、好きじゃあねぇぜ。」
「すぐにそんな口利けなくしてやるさ。」


料理をしながら、俺の目も見ずにそんなことを言うものだから、心底あきれた。


「お前よぉ、そういう台詞は、落としてぇ相手の目を見て言うもんだぜ。間違ってもパスタソースを作りながら言う台詞じゃあねぇ。」


リゾットにキッチンをとられて、仕方がないので飲み物の準備をしながらそう言ったが、ヤツはチラリともこちらを見ないし、何も言わなかった。別段気にもしないが。
しかし、仕事以外のこいつの行動理念は、結構付き合いは長いが今もって分からなかった。




「あんた、何で俺を抱く?別にゲイじゃあねーんだろう。」
「当たり前だ。」


少しむっとした風に返す。本当に、よくわからない。この男は。


「お前こそ、何故俺と寝る。そういうことは嫌いだと思っていた。」


今度は逆にリゾットに問われて、俺は答えに窮した。なぜ、だろう。きちんと考えたことは、なかったように思う。
だが、こいつとのセックスが他とは違うのは確かだった。快楽のための手段ではなく、原点…回帰…、どこか懐かしい風景の中にいるような、そんな感じだ。相手の魂に触れ、俺も魂をあらわにする、そのための行為。しかしそれが行動の理由になっているのかどうかは、俺には分からなかった。


「…さあな。俺にもわからねぇ。ゲイじゃあねーことは確かだが。」
「お前は…本当によくわからない男だな。」


顔を見合わせて苦笑う。これじゃあ、まるでガキだ。二人とも。


…恋、なのかもしれないと、お互い気付いてはいた。だが、そんな青くせー感情が俺たちの間にあるとしたら、それこそ背筋の寒くなるような話だ、とも同時に思っていた。
その思考回路自体が、既に相当ガキくせーって話なんだが、俺たちは二人とも、どうすればいいかなんてわかっちゃいないんだ。ほんとのところにたどり着くのを怖がって、相手の様子を伺ってる。


「…だっせぇよなぁ。」


そう言って笑うと、リゾットにも意味がわかったのだろう、傍目にはほとんど分からないくらいに口の端で笑うと、パスタができたと言って、皿をテーブルに運び始めた。
あぁ、こういうの、いいかもしれねぇ。
馬鹿みてーにガキくせぇがよ、このままがいい、もうしばらくは。




ラジオのシャンソンは、いつの間にかオーケストラのクラシックに変わっていた。ワインのボトルとグラスを持って、俺もテーブルにつく。作曲者が恋のただなかに居た時に作られたというこの曲に、二人の夕べの食卓を、せめてそれらしく彩っていただこうと考えながら。
















喜びの島



























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