schizophrenic











○月×日 23時32分 メローネの携帯に、着信一件
「プロントォ。」
「俺だ。ポイントに着いたぜ。標的の現在位置は。」
「問題ないね。『ベイビィ・フェイス』が追跡している。やつら、陽動作戦で何台か車を走らせてるけど…ま、そんな子供だましも、この俺の『ベイビィ・フェイス』には通用しないけどね…『ホンモノ』は高速を使ってネアポリスを抜けた。北に向かって動いている。」
「行き先はローマか。ま、予想の範疇内だな。」
「俺も今からそちらへ向かう。『橋』で落ち合おう。」
「了解。」






後部座席のシートに深く腰掛け、汗ばんだ両手を握り合わせた。目を瞑って深呼吸を繰り返す。
今夜だ。今夜さえ乗り切れば、俺の命は保証される。
夜が明ける前にローマに着きさえすれば。
法廷速度をはるか彼方に置き去りにしたようなスピードで、黒いベンツが稲妻のように高速道路を裂いて走る。
普通の車に見せかけるために、最低限の防弾設備しか施していない。フロントガラスは防弾だが、それ以外は運転席と後部座席を仕切るウィンドウもなければ、狙撃用のライフル銃も備え付けていない。運転しているSPが居る他は、愛用のベレッタを、ホルターに忍ばせているきりだ。
しかし、これで十分だろう。『追っ手』は、俺がシチリア島へ向かったと思っているはずだ…俺たちの組織の本拠地はシチリアにあるし、囮の車のうち何台かを港へ向かって走らせておいた。ローマに着きさえすれば、提携している別組織の手引きで、ローマ市外の空港から飛べる。一度国外に出てしまえば、『追っ手』はもう手が出せないだろう。
大丈夫だ…大丈夫…。
何度も自分にそう言い聞かせるが、速くなる鼓動を抑えるのは容易ではなかった。車内の気温は適温に設定してあるはずなのに、手のひらや額にじっとりと汗をかく。それなのに指先はまるで凍っているかのように温度が無い。伏せがちだった目を上げて窓から外を眺めると、ネアポリスの街明かりは既に遠くなっていた。一定の間隔で並ぶ街灯の光が夜の闇に浮き上がって、まるで彗星のような速さで流れては消えていく。
車線には他に車も走っておらず、出したいだけスピードを出すことができた。この分なら確実に夜明けまでにローマに着けるだろう。大丈夫だ。『追っ手』がやってくる気配もない。きっと上手くいく。
俺はもう一度深く息をすると、薄く目を瞑ってシートに身を沈めた。黒塗りのベンツはますます速度を上げ、夜の闇に溶け込むように北上してゆく。






○月△日 0時08分 メローネの携帯に、着信一件
「…プロントォ。」
「メローネか?…声がよく聞こえねぇぞ。」
「移動中だからな。ハンズフリーにしてるから…話はできる。何かあったか?」
「今『橋』の上に居るんだけどよ〜〜〜。南から、いかにもって感じの真っ黒な外車が一台、すんげぇスピードでこっちに向かってんだけどよォ〜〜〜、あれが『そう』なのか?」
「黒いベンツか…?一台だな?ならそれに間違いない…『ベイビィ・フェイス』がそう言っている…時間もぴったりだ…。」
「分かったぜ…。もしかすると、テメーがこっちに着く前に事は終わってるかもしれねーが…まぁ、悪く思うなよ。」
「願ったりだね。早く帰ってベッド・インしたい。」
「気色悪いこと抜かすんじゃあねえッ!!虫唾が走る!」
「誰もあんたとなんて言ってないだろ?ごく普通に、眠りたい、って意味だぜ…。」
「…!来やがった…切るぜ。」
「Si. 幸運を。」






ネアポリスから高速を使って北へ向かうには、いくつかの山や渓谷を越えなければならない。その中でもひときわ深く、長く、深淵に眠る闇のように横たわる渓谷…今から渡るのが、その渓谷に架かっている『つり橋』だった。
この道をよく使うイタリアの人間は、この渓谷に架かる鉄橋のことを『橋』とか『つり橋』とか呼んでいる。鉄橋の全長は数キロにも及び、『橋』の終わりはこちらからは見えない。下から吹き上げる風が強く、運転も困難な道だった。
『つり橋』の入り口に差し掛かったところで、SPが車の速度を落とす。コレだけスピードを出してりゃ、正確な運転は難しいからだ。車は闇に眠る巨大な橋の上を、流れるように滑ってゆく。もうだいぶネアポリスからは離れたはずだ…。


「…!幹部!」


SPの声に顔を上げる。恐怖と驚愕の入り乱れた声…。
暗いフロントガラスの向こう、『つり橋』の丁度真ん中あたりに、ぼんやりとした影が見える。…赤いオープンカー…ポルシェだ。ポルシェが道のど真ん中に、それも横向きに道を塞ぐように停まっている。ポルシェの脇に人影があるのが見えた。男だ。車体にもたれてゆうゆうとこちらを眺めている…。


「な、何やってんだ!ブレーキだ!!ハンドルを切れッ!!」


俺の声にはじめて気がついた、と言う風にSPは息をのむと、アクセルを離して思い切りブレーキを踏んだ。スピードに乗った車体はバランスを崩し、火花を散らしながらスピンする。カーアクションフィルムさながらのパフォーマンスのあと、火山が噴火したようなものすごい揺れと共に、男の数メートル手前で車はとまった。




ゴムとコンクリのこすれる臭いが鼻をつく。思わず閉じてしまっていた目をゆっくりと開いた。数メートル先でポルシェにもたれて道を塞いでいるのは、青みがかったプラチナブロンドの巻き毛に赤い眼鏡をしている…一見してフツーの男だった…だが…。
男がゆっくりと顔を上げた。口もとが笑みの形に歪み、その双眸がボウガンのように俺を射抜く。
…ヒットマンだ。


「くそッ!!」


SPが窓から銃を突きだして、続けざまに三発打った。だが、弾が当たらない。弾道がそれたわけではない…確実に男の方へ向かって飛んでいったはずの弾が、まるで空中で見えない壁にぶちあたったかのように、途中で弾き返されてしまうのだ。男はもたれていた車体を後にし、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる…。




なぜだ…?なぜ弾が当たらない?なぜ俺がローマに向かっていると分かった?どうやって逃げる?殺すか?だが銃が効かない…目の前のこの男…。
…普通はシチリアに向かうと考えるだろう。囮の車も放った。何より、俺の組織とローマのファミリーが手を組んでいることは、まだどの組織も知らないはずだ。なぜパッショーネが…。フル回転して焼き切れそうな思考の合間に、目の前の男がにやりと口を開いたのが見えた。


「…『わからねぇ』って顔してるな…『まさかローマにトンズラしよーとしてるのがばれるとは』…って思っているだろ?当然だ…だが残念だったな。ウチのチームにゃ、そこらの諜報員よりずっといい仕事する同僚がいるんでな…。『12時になると、鏡の国から小人がこんにちは』ってヤツだ!」


ヒャハハハハ!!とヒステリックに笑い出す。…一体なんなんだ!?狂ってるのか?それともヤクか?ともかく普通の人間じゃないことは確かだ。イカれてやがる…!


「お、おいッ!戻れッ!何やってる、Uターンだッ!!」


SPがもう一度アクセルをいっぱいに踏み込む。目の前の眼鏡男を蹴散らすぎりぎり一歩手前でハンドルを切り、今来た道を逆走していく。反対車線だがそんなことは気にしちゃいられねぇ。ローマが駄目ならシチリアに戻るまでだ。追っ手がこっちに向かってるってことは、港は手薄だってことだ。あのウスノロのヒットマンが、さっさと俺を殺ろうとしなかったのは好都合だった…。
エンジンがイカレそうな勢いで、車線を逆走する。強烈な風が吹き上げてきて、スピードに乗った車体が揺れる。もうすぐ『つり橋』が終わる。…不可解だが…あのヒットマンは追いかけてくる様子もない…。











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