schizophrenic











○月△日 0時16分 ギアッチョの携帯に、着信一件
「プロント。」
「ギアッチョ?俺だ。『橋』の入り口に着いた。もう片付いた?」
「いや、ちょお〜〜っと喋ってやってたらよぉ、やっこさん尻尾巻いて逃げちまってよォ…オメーの方に向かったぜ。」
「あ、ほんとだ。全く、仕事きっちりしろよなあ〜〜。」
「オメーに言われたかねーってんだよォ〜!!クソッ!」
「はいはい、獲物が来たからもう切るぜ。」






「!!」


もときた道を逆走していくと、『つり橋』の最終地点に、さっきの男とは別の人影があった。こちらは車じゃなく、デカいバイクに跨っている。…女…いや、男か?腕に小型のノートパソコンを抱えて、ご丁寧に、こちらも道の真ん中に、進路を塞ぐようにしてこの車を待ち受けている。あの男が追ってこなかったわけだ。挟み撃ちを狙っていたのだ。


「このままだ!このままつっきれッ!!」


止まっているバイク相手なら、確実にこちらが有利だ!ひき殺しても構わない、と言うと、SPはさらにスピードを上げた。物凄いスピードで、バイクの男との距離が縮まってゆく。


そのとき、目の前の男が笑うのが見えた。
まるでセックスの最中、オルガスムスに達したときのように恍惚とした表情で…男の唇が何か呟いた。


とたんに、車体が大きくガクンと揺れる。
「どうしたッ!ちゃんとハンド…ル……おい?」
運転席のSPに向かって怒鳴るが、その声は受け取る相手を見失って、情けなく宙ぶらりんになった。SPが居ない。一瞬前まで、確実にこの車を運転していたはずのSPが、煙のように消えてしまった。そしてSPがいたはずの運転席には、何故か乗せた覚えの無いジュラルミン・ケースがひとつ、ぽんと乗っかっていた。


「…ウオオォォォォッッ!!」


俺は必死になって運転席に這い出ると、腕がちぎれるほどハンドルを切った。運転手を失った車は、壁に激突しようと猛進していたのだ。ボンネットが闇にスパークして火花を散らすのが見える。タイヤの擦れる音、揺れる視界、爆発音、衝撃…。




「あのまま激突してくれていてもよかったんだけどなぁ。そっちの方が、手間が省けて。」


男の声が聞こえる。眼鏡の男とは別の声だ。
俺はゆっくりと顔を上げた。車は奇跡的にも、道路わきのブロックを乗り越えただけで、『橋』を突き破って渓谷へ落ちることも、壁に激突して大破することもなかったらしい。ただ、ボンネットから尋常ではない量の煙があがっている。ものの焼ける臭いがする。どこかのヒューズが飛んだのか…それともコードが焼ききれたのか。
いつの間にか全身にべっとりと汗をかいていた。軽い打ち身意外はどこも怪我はしていないはずなのに、身体中が痛い。とても寒い。額に張り付く前髪の間から、男が車の直ぐ近くに立っているのが見えた。鼓動が早くなる。恐怖だ、これは。


「俺の『ベイビィ・フェイス』でカタをつけてもよかったんだが…今回は『なるべく派手に』『死体の残るやり方で』ってのが注文なもんでね。これは「制裁」で「見せしめ」なんだ。そういうわけだから、もう一度あっち側に向かって走ってくれないか…?俺の相棒が待っているから。」


こいつらは人間じゃあない。人間であるはずがなかった。こんな風に微笑む人間を俺は知らない。悪魔でなければなんだというんだ。


「…そんな顔して見るなよ。確かに俺たちは人間とは言いがたいだろうけどな。でもあんただって、真っ当な人間じゃあとてもできねーようなこと、山ほどやって生きてきただろ?」


男が一瞬、マトモな人間らしく苦笑ったようだったが、気のせいだったかも知れなかった。なにせ俺は全くのパニック状態で、天地左右も分からないほど混乱していたからだ。
無我夢中で運転席に座ると、アクセルを踏んだ。バチィッ!という音と共に火花が散って、視界が煙で覆われる。ハンドルを切ってUターンする。一刻も早くこの男から離れたかった。身体が寒い。恐怖で筋肉が痙攣している。俺はここで死ぬのか。こんな忌まわしい状況の中で、何故か俺の脳はアドレナリンをガンガン分泌しているらしく、メーターが振り切れるほどスピードを上げる。


ああだめだ。こっちに逃げたところで、あの眼鏡男が居るのは分かっているのに、逃げ切れるはずなど。もういっそ早く殺してくれ。俺は一体何から逃げてるんだ?ああ、だが、逃げなければ。おれは逃げなければ。胸が潰れてしまいそうだ。
既に呼吸は不規則で、瞼が痙攣して瞬きも出来ない。腕も足もガクガク震えていて、アクセルを踏んでいられるのが奇跡だった。


…進行方向の道の真ん中に、先ほどの眼鏡の男が立っていた。だが今は、白いボディスーツのようなものを身につけている。もう俺の身体は、俺の意思で動かすことなどできなくなっていた。首の根も座らず、頭が後ろに揺れる。焦点も既に合わない。ブレーキも踏めない。黒いベンツは、大気圏に突入した隕石のように、男に向かってまっすぐ突き進んでいく。


『…ホワイト・アルバムッ!!』


男の声が、渓谷に横たわる闇に響いたと同時に、車体がメリメリという音と共に、上に持ち上がった。車内の温度が急激に下がったのが分かる…さっきまでかいていた汗が全部凍っていた。車の側面部は霜に侵食されながらボコボコといびつにへこみ、車体はどんどん上昇してゆく。信じられないことに、巨大な氷の柱が、車を持ち上げて凄いスピードで伸びているのだ。既に車体は、『橋』を支える鉄柱の頂と同じ高さまで持ち上がっている。信じられない、こんなことが…やはりあいつらは悪魔だったのだ。俺は悪魔に出会ってしまったのだ。神よ、俺がそう祈った時だった。




その時見た光景を、俺は生涯忘れないだろう。
全長数キロにも及ぶ橋が、氷で覆い尽くされていた。上空から目の届く範囲全て、先ほど見た鉄柱も、柱を支えるケーブルも、道路の表面も、街灯も、全てが無音無色の氷に閉ざされて夜の闇に浮き上がっていたのだ。俺は瞬きも呼吸も忘れてその光景に魅入っていた。天国へ続く道のようだった。暗闇に浮かぶ銀の橋。
やがて車体がゆっくりと傾き、重力に従って静かに落下を始めたとき、俺は涙を流していた。凍った眼球から、それでも確かに涙は流れていたのだ。


美しい。あまりにも哀しく、そして壮絶だ。


氷の地面が目の前に迫るのがフロントガラス越しに見えたが、全てのことが始まる前に、俺は静かに目を閉じた。
…そして静寂の世界が訪れる。








○月△日 01時00分 リゾットの携帯に、着信一件
「プロント?リーダー?俺だ。メローネも居る。仕事は今終わった。獲物の身体は…まあ身元が割れる程度には残ってる。言われたとおり『派手に』やっといたぜ。解除すれば、高速のド真ん中に『高所から落とされたような車の残骸』だけが残るはずだ。しかし、この光景あんたにも見せてやりてぇ。正に絶景……あ?んだとメローネコラ!……とにかく俺らは今から戻る。そっちも今仕事中だな?まぁあんたのことだし心配するこたねーと思うが、……幸運を。じゃあな。」











FIN. (070405)














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