嫌な仕事だ。 プロシュートは、心底うんざりといった様子で顔をしかめた。 ただの殺しなら別に構わない。 プロシュートが気に入らないのは、今回の標的が、ギャングでもなんでもない、カタギの人間だということだった。 並木の梢に緑の萌える、五月のうららかな日だった。 その公園には大きな噴水があって、春の陽にぬるんだ水に、子供達が足先だけを浸して遊んでいる。子連れで散歩に来た母親や、午後の余暇を日光浴に充てた老人たちは、噴水のぐるりを囲んだベンチに座って、はしゃぐ子供達を眺めていた。 点在するベンチの一つに、二人の男が座っていた。 一人は70がらみの老人で、頭髪は白く染まり、顔には樹齢を経た木の幹のように深い皺が刻まれていたが、その灰色の瞳は未だしっかりとした光を放っている。 もう一人は30代後半ほどの、眼鏡をかけた金髪の男だった。ペーパーバックのページをめくりながら、細いからだの線を引き立てるような優雅な仕草で時折足を組みかえる。男にしては長めの髪が落ちてくるのを、指先で掬って耳にかけながら、男は隣に座る老人をチラリと眺めてみた。 (ほっといてもじきに死んじまいそうなジジイじゃねえか…。) 伊達眼鏡のレンズ越しに標的を観察しながら、プロシュートは心中毒づいた。こんなじいさん放っておけばいいものを。 だが、仕事は仕事だ。やるからには(嫌な仕事ならばなおさら)迅速に。 自分の仕事は殺すこと。それをプロシュートはよく理解していた。 常より10年ほど年取った身体を反らして伸びをする。十分に伸びきらない肩や腕の筋肉が小さくキシキシ痛むので、ああやっぱり歳食うと体もガタがくるもんだ、こりゃうかうかしていられねぇな、とプロシュートは苦笑した。 ふと、隣に座っていた老人が身をかがめた。 動くか?とプロシュートは身構えたが、老人はベンチに座ったまま、足元に転がってきたボールを拾い上げただけだった。見ると、噴水の方で小さな男の子が一人、こちらへ向かって手を振っている。 老人はゆっくりと立ち上がり、ボールを持った手を振りかぶると、しなびた腕からは想像もつかないようなしっかりしたフォームで男の子にボールを投げ返した。 思わず口笛を吹くと、老人はちらりとプロシュートの方を見、にやりと笑うとまたベンチに腰掛けた。 噴水では、少年達が再びボール遊びに興じている。 「お孫さんですか。」 「ああ、初孫でね。」 プロシュートの言葉に老人は嬉しげに頷いて、あっちで子供を見ている女性が自分の娘だ、と噴水の近くを示した。 器量はよくねぇが気立てはしっかりしたヤツだ、とか、自分が晩婚だったので孫の顔を見るのが遅くなった、とか、とりとめもない世間話を始めた老人に、プロシュートは時折相槌を打つ。 仕事は順調に運んでいる。このまま老人を引き止めて、一人にしたところを始末すればいい。 ゆっくりと陽の光が傾き始め、遊んでいた子供達は、ぱらぱらと家へ帰り始めたようだった。母親はそれぞれの子の名を呼び、石畳に長く影を落としながら家路に着く。 老人の娘も、帰るというような身振りをしてみせたが、老人は手を振って先に帰れと促した。 少年の手を引きながら、夕暮れの石畳に長い影をひいて歩く自分の娘の姿を、老人は長いこと見つめていた。 自分はあんな風に母親に手を引かれたことがあったろうか、とプロシュートは思った。 これから自分が、あの母親のように、自分の息子の手を引くことは。この老人のように、自分の孫を見守ることは果たしてあるのだろうか、と。 西日が公園を照らし始めていた。 ひとり、またひとりと、騒がしかった広場からは人がいなくなり、代わりに近くの民家から、夕飯の匂いが漂ってくる。 (そろそろか…) 今から動けば、黄昏の闇に乗じてことはうまく済むだろう。 そう考えて老人の方を振り向いて、プロシュートはぎょっとした。老人が、その灰色の瞳に涙を溜めていたからだ。 「どうかしましたか。どこか具合でも…。」 「いや…。」 気付かれたか、と懸念したが、どうやらそうではないらしかった。 老人は溜まった涙をぬぐおうともせずに、西の空に落ちる夕日を眺めている。息をしているのかどうかも怪しいくらい、静かに…。 自分はよく生きた。 老人はプロシュートにそう言った。 最愛の娘は幸せな結婚をし、可愛い孫の顔を見ることもできた。 生活も、決して潤沢ではないが、さりとて困窮しているということもない。 いく筋も刻まれた深い皺の分だけ苦労し、働き、また喜びながら生きてきた。 良い妻と良い街と、良い家族に出会った、素晴らしい人生だったと。 「とても幸せだった。見ず知らずのあんたにこんなことを言うのも、おかしな話かもしれんが。」 目に涙を溜めて静かに語る老人の横顔を、プロシュートはただ見つめていた。 西日に照らされた顔の深い皺、痩せて筋張った腕、豊かなまま色素の抜けた髪、そして、昔は瑞々しい漆黒だったろう、彼の灰色の瞳を。 老人の目に溜まった涙はやがて溢れ、彼の乾いた頬をしめやかに流れ落ちた。プロシュートは静かに視線を落とし、金色の長い睫を一度瞬くと、ゆっくりと老人の肩に手を置いた。 ベンチにかろうじて残った陽だまりに、プロシュートは身を沈めていた。 目を閉じて眼鏡を外し、疲れた目頭に軽く触れる。 世界のどこかで今日も誰かが、生れ落ち、死んでゆく。今日も雨は降り、風は立ち、雲は流れて。 (人が死ぬとは、そういうことだ。) 日々の雑踏から、人がひとり消えるということだ。まるで雨が降り、風が立ち、雲が流れるように、ひっそりと、だが確実に。 ただそれだけのことなのだ。 黄昏の闇があたりを覆い始めていた。プロシュートは音も無く立ち上がると、傍らのなきがらをふり返った。幾分皺が増え、くたびれたようすの老人の末期の顔が、柔らかに微笑んでいることが、今はただありがたかった。 目を閉じて 枯れた喉と 熱い瞼を捨てた 遠い国で 今日も誰かが 生まれ 死に 今日も雨は降り 風は立ち、雲は流れて 半身はあたたかく あとの半身はとても寒い ”i am a permanent. i am a world.” 死者に故郷の花を贈る たくさんの人たち 朝日を見るため おやすみ so long, and good night |